

John Leslie “Wes” Montgomery (1923.3.6-1968.6.15)
ギタリストのウェス・モンゴメリって知ってます?ジャズにある程度のめり込んだかたなら一度は聞いたことのある名前ですよね。
「なに!ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスなら知ってるがウェス・モンゴメリは知らないって」、それじゃ彼の偉大な生涯を簡単に紹介します。
| 本名 | ジョン・レスリ・モンゴメリ |
| 愛称 | ウェス |
| 生地 | インディアナ州 インディアナポリス |
| 生年月日 | 1923年3月6日 (1968年6月15日没)享年45歳 |
| 身長 | 170㎝ |
| 趣味 | ビリヤード |
| 好きなもの | 甘いもの、とくにマフィンのシロップかけ |
| 愛車 | 飛行機が大嫌いで、後年はキャデラックを乗っていた |
| こだわり | ワニ皮の靴、時計など貴金属にも興味があった |
| その他 | 彼を知る人は誰もが「温厚で誠実な人」と評価する 愛煙家(ヘビースモーカー)ではあるが、酒は一滴も飲まないことからハンプトン在籍中に、仲間からRev(牧師)とあだ名づけられたことがあった。 |
ウェスはすでに故人なんですが、彼の活躍を第Ⅰ期から第Ⅴ期に分けて話します。
ウェス・モンゴメリはインディアナ州インディアナポリスの片田舎、いや今では【F1レース】でお馴染みの地名なんですが、決して裕福とはいえない4男1女の3男として(もっとも長男は若くして亡くなっているので、一般的には3兄弟として知られているが)1923年3月6日に生まれた。
彼の愛称ウェスは、Leslie~Wesley~Wesというように変化したといわれているが、次兄のモンクが早くからベースを弾いていたことから、音楽に興味をもったのは12歳のときモンクより4弦ギターをプレゼントされたのがきっかけであった。また弟のバディもピアノを(のちにヴァイヴも弾いている)、そして妹のアーヴェナは教会でピアノを弾いているという音楽一家であった。
ウェスは19歳で結婚し20歳のころには仕事を終えたあと地元のクラブで複数の出演をこなすぐらい上達していた。
もちろんその過程で絶え間ない努力と練習を独学により積み重ねたわけですが、模範にしたのは1枚のチャーリー・クリスチャンのレコードを専らコピーすることから始め自分のスタイルを築き上げた。その後ピックを使わず親指だけで奏でるオクターヴ奏法なる8度離れた音程を同時に弾くという前人未踏の離れ技を習得。
そのサウンドはソフトでありながら管楽器同様の重厚さをも感じさせるもので、「深夜の練習はアンプを通すと近所迷惑だったので、親指で弾いただけのことなんだ。」と、ウェスはその偶然性について語っている。
第Ⅰ期、ライオネル・ハンプトン時代
1948年5月ウェスが25歳の時、地方巡演のライオネル・ハンプトン楽団がインディアナポリスを訪れ、欠員のバンドマンを加えるためのオーデションをするという。その噂が町中に広まり、日頃の腕を試すチャンスにウェスは独学で全く譜面が読めないにも関らず見事に受かった。
即日、ハンプ一行と全国を楽旅するがこれがウェスの「第Ⅰ期、ライオネル・ハンプトン時代」ということになる。が、「もうこれ以上家族と離れた生活に疲れたよ。」と1950年初め退団し、故郷に帰ってきた。
その後は1957年までクラブに出演したり、モンゴメリ3兄弟とジョンソン兄弟とバンドを結成、<モンゴメリ/ジョンソン・クウィンテット>として短期の巡演もこなしていた。
第Ⅱ期、パシフィック時代
1957年12月、既に兄のモンクと弟のバディは<マスターサウンズ>を結成しウエストコーストを中心に活動していたことから、 ウェスも再々ゲスト出演に駆出されていた。
そんな<マスターサウンズ>がパシフィック・レコードと契約していたことからウェスにもレコーディングのチャンスが生まれた。
この「第Ⅱ期、パシフィック時代」でのウェスは6枚のアルバムにみられるが、いずれもリーダー・アルバムとなるものがない。
わずかに1曲(フィンガー・ピッキン)だけ彼名義のものがあった。まだ無名のウェスとはいってもこの初々しいウエストコーストの雰囲気がたまらないというファンも少なくない。
第Ⅲ期、リヴァーサイド時代
第Ⅲ期、リヴァーサイド時代は1959年9月キャノンボール・アダレイ等がインディアナポリスに巡演でやって来たとき、ウェスは楽屋を訪れ自分のクラブ出演を観てほしいと頼んだことから始まる。
約束でやってきたキャノンボールは今まで想像もしなかったウェスのプレイに度肝を抜かれ放心状態であった。彼は早速自分が所属するリヴァーサイド・レコードのオリン・キープニュースに報告した。
「インディアナポリスに凄いギタリストがいるんだ。今すぐ彼と契約しなくちゃほらこれが電話番号さ!」と興奮を抑え切れず一気に捲し立てた。
かくしてウェスは36歳にして自己の初リーダー・アルバム、<ダイナミック・ニュー・サウンド>を仲間のメル・ライン、ポール・パーカーを引き連れ1959年10月ニューヨークでレコーディングをおこなった。
第Ⅲ期は4年間続くが、その間じつに多くの試練が待ち受けていた。ウェスは6人の子供(生涯、7人の子供)たちを養うため、プロデビューを果たしたとはいえ生活は決して楽ではなく相変わらず昼間は溶接工の仕事をし深夜2時まで掛け持ちのクラブ出演で生活費をまかなっていた。
1960年2月、<マスターサウンズ>が解散するやいなやかねてから兄モンクの念願であったウェスを引き入れた<モンゴメリ・ブラザーズ>が結成された。
1961年9月、弟のバディのくちこみから、ウェスは単独でジョン・コルトレーンのグループに一時的に参加しており、後世にまで語り継がれるぐらい脚光を浴びたがお互いのレコード会社のちがいもありレコーディングはされなかった。
1962年春、不景気のあおりで仕事も少なくなり<モンゴメリ・ブラザーズ>は解散に追い込まれ、1963年末、所属するリヴァーサイドも経営者の死から倒産し、ウェスは失業の身となった。しかし大家族の生活を放棄するわけにはいかず、1964年早々、再び仲間のメル・ライン等とトリオを組みライオネル・ハンプトン時代に次ぐ長い全国への巡演にでかけた。
第Ⅳ期、ヴァーヴ時代
第Ⅳ期、ヴァーヴ時代は1964年10月、リヴァーサイドでの数々の素晴らしいレコーディングに以前より眼をつけていたプロデューサのクリード・テイラーは、ウェスをヴァーヴ・レコードに迎えいれた。彼にはウェスをもっと商業的な設定で使う目算があり、ギンギンの4ビートではなくポップ路線に乗せ一般受けするようなレコーディングを考えていた。
ヴァーヴのレコードを聴いていただければ分かると思うが、ウェスのバックにオーケストラを配し選曲もジャズのスタンダードではなく流行のポップスを採り入れている。
当初ウェスは抵抗を示したが、レコードが売れることにより生活は安定した。
そんな余裕のできた1965年3月一世一代の話が持ち上がった。何とヨーロッパへの巡演話である。実はこの話1962年にもあったがウェスはだいの飛行機嫌い、「車で行けるならどこえでも行くさ」と一度は断ったがあまりにも熱い要望にとうとう折れてしまった。
イギリス、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、ベルギー、そしてオランダの各国を5月上旬まで巡演したが久々の4ビートと異国の雰囲気を結構満喫したようである。考えてみるにこの第Ⅳ期こそウェスにとって絶頂期といっても過言てはあるまい。プレイは円熟を増しレコードは売れる、クラブでは引っ張りだこの超売れっ子ぶりであった。
第Ⅴ期、A&M時代
1966年クリード・テイラーはヴァーヴを辞めA&Mレコードに移籍した。しかしウェスとの成功が忘れられず1967年に彼を引き抜いた。これが終局の「第Ⅴ期、A&M時代」である。
この時期、商業的に徹しているウェスに対し古い4ビート・ファンは非難の声を浴びせたが、ウェスとて生活も大事である。
「世間からなんといわれようとかまわないさ。みんなプレスリーやビートルズの音楽を鼻先であしらっているようだが、俺は彼らの音楽のよさを見つけ出し、自分自身の中に採り入れようと努力している。もちろんコピーなんかしないさ。」
と熱っぽくインタビューに答えている。そんなウェスにクリード・テイラーはヴァーヴ時代とはまた違ったスタイルで取り組んだ。
ギターのバックにバロック風の洒落たストリングスを配し、流行のポップスやビートルズのナンバーを採り入れた<ア・デイ・イン・ザ・ライフ>これが大当たり20万枚以上の大ヒットとなった。
今やイージー・リスニング・ジャズの先駆者でもあるウェス・モンゴメリは押しも押されぬ<44歳のスター>となった。
休日の我が家で、これから楽に過ごせると感じたはずの1968年6月15日の朝、ウェスは気分が悪いといってダイニング・ルームの椅子に座ったとたん、以前より悪くしていた心臓発作に襲われ帰らぬ人となった。若い頃の無理な仕事と最近の多忙がたたった享年45歳、あまりにも若すぎる死であった。
虎は死っして皮のこす」。ウェスは死んでもそのオクターヴ奏法は、現在あらゆるジャンルで多くのギタリストに引き継がれておりコルトレーンやマイルスとはまた違った意味での<ジャズの巨星>といえる。
どうです、だいたい解かっていただけましたか。なにもっと詳しく教えろって、じぁ、ここまでの話で更に詳しく書かれた本を紹介します。エイドリアン・イングラム著小泉清人訳、「ウェス・モンゴメリ」、JICC出版より1992年3月に発行されている。
そして、ジャズ批評90「ウェス・モンゴメリ」、ジャズ批評社より1997年1月発行、堪能できる記事が満載、是非読んで下さい。
