ウェスのギター
修正 2020/9, 2023/9
クリスチャン派を凌ぐモンゴメリ派
そもそも現在のジャズ・ギターが確立したのも、1936年ギブソン社としてアーチド・トップの “ES-150” というモデルに初めてピックアップを搭載したエレクトリック・ギターを発売した翌年、このギターに持ち替え、自由奔放に使いこなしそれまでのジャズ・ギター界をあっさり塗り替えてしまった天才ギタリスト、チャーリィ・クリスチャンの登場があったといえる。
彼は同時代に活躍していたジプシー音楽とジャズを融合させメロディアスなソロを聴かせることから人気上々のジャンゴ・ラインハルトとは別に、共演していたこともあってレスター・ヤングの影響をもろに受けシングル・ノートでソロ(誰も演らなかったホーンライクなソロ)を演るという今までの常識を打ち破り、さらにサウンドやコード・チェンジの手法まで築き上げ、ジャズ・ギターの方向性のみならず、そのインプロヴィゼーションはビ・バップへの確立にも大きく貢献させた。
彼が何故天才だったかというと、先ず有名になったのが1939年、手腕の名プロデューサ、ジョン・ハモンドに見出されベニィ・グッドマンのコンボに入団し、その新鮮なフレイジングで一気に脚光を浴び、1942年に肺炎で死ぬまでの数年の間にこれらの偉業を成し遂げたからである。
のちに彼が “モダン・ジャズ・ギターの開祖” と崇められる布石はこのようにして形成された。
個人的にもう一人掲げたいのが、カントリ・ギタリスト出身で1930年頃から独自でピックアップの開発に着手し、最終的にはエピフォンの協力で “LOG” というモデルを完成させた、そう、レス・ポールです。
彼は、出演のラジオ番組でこのモデルを使ったプレイ (ピックアップの開発もさることながら、レス・ポール・モデルが発売されるまでの間、エフェクター、つまりディレイ、エコー、リヴァーブも完成させさらに多重録音技術も開発した) が人気を博したことで一躍トップ・スターにのし上がり、1952年にその探究心はギブソンから商用的にレス・ポール・モデル (実は1941年に実用可能な1号器を完成させ本人は既に使っていた) を発売させたことでも有名で、そう言った意味からもジャズ・ギター界に大きく貢献したといえる。
まあ、プレイそのものと違って(勿論名プレイアーには違いないが)ギターの開発に大きく寄与させたことからクリスチャンとはまた違った意味での人物であろう。
もし彼がいなければギブソン、いやギターそのものの発展が遅れていたと断言できるほどで、偏見的に比較するなら私はジャンゴのどこが偉大なのか、いや彼自身は偉大であったかも知れないが承継的に考えると影響を受けているギタリストは現在皆無に近いであろう、あえて影響ということで言うとこのレス・ポールの楽器の影響を褒め称えるべきだと考える。
その後の終戦を向かえた1945年頃からチャーリィ・クリスチャンの影響を受けた (クール派開祖で盲目のピアニスト、レニィ・トリスターノの影響で独自の音楽理論を発展させたビリィ・バウアというトリスターノ派もあるが、ここはあくまでもクリスチャン派を主体に説明している) バーニィ・ケッセル、ジミィ・レイニ、ハーブ・エリス等々のちに “クリスチャン派” と呼ばれるギタリス
トが続々登場し、ギターはジャズにおいて必要不可欠な地位を築きあげ、ここにチャーリィ・クリスチャンが天才ギタリストであったと誰もが認める事となった。
50年代中半にはタル・ファウロウ、ジム・ホール、ケニィ・バレルらが登場するが、特にファウロウのダイナミックでスピード感溢れるプレイはあっという間にジャズ・ギター界の中心人物となった。 (古くからのジャズ・ファンは今でも彼が1番という人も少なくない)
この50年代前半にはソリッド・タイプのギターも発売されロック界の人気が上昇しつつある (前述のレス・ポール・モデルのことで、トレモロ・アームが付いたことでジャズ以上にロックによく使われることになった) なか、インディアナポリスの小さな町では屈指のギター・テクニックを使うことで地元では既に有名になっていた “クリスチャン派” のウェス・モンゴメリが活動していた、が、まだまだシーンに触れることはなかった。
しかし、1958年絶頂期のファウロウは結婚と同時に突如引退を表明、混迷のギター界にウェス・モンゴメリ、グラント・グリーン、ジョー・パス、そして既にブルーノートで活躍していたケニィ・バレル等が顔を出してきた。
中でもキャノン・ボールに見出され、オリン・キープニュースにプロデュースされたウェス・モンゴメリが1959年、前人未踏その屈指のギター・テクニックなるオクターヴ奏法を引っさげてのシーン登場は音楽関係者をはじめ、ミュージシャン、ジャズ・ファン全てを驚嘆させることとなり、その評価は1960年ダウン・ビート誌の人気投票でいきなり新人賞を獲得したのだから今で言うイチロー選手のような存在となった。
さらに翌年にはそれまで王座が続いた白人ギタリストを引きずり落とし、国際批評家投票ギター部門で堂々の1位に輝いた。
このオクターヴ奏法は、クリスチャンの偉業に匹敵する、もしくはそれ以上の重要性を含むほど、のちのギタリストには多大な影響、かつ当時現役のミュージシャンには脅威と思えるほどの影響を及ぼした。
再度私的に口を挟むなら、チャーリィ・クリスチャンが “モダン・ジャズ・ギターの開祖” であるならウェス・モンゴメリは “オクターヴ奏法の開祖” として、つまりクリスチャンやテクニシャンのファウロウ、それに研究熱心なポールですら考えも及ばなかったオクターヴ奏法 (ジャンゴ・ラインハルトが先人的に使ったと言われているが、彼は火災事故に遭い左手2本の指の自由が利かない状態なのでウェスとは左手のフォームも違うしピック・サウンドで似ても似つかぬもの、あくまでもウェス独自のものではっきりと区別しておく) がいかにジャズ・ギター、いや今日までのジャズ界に大きく貢献したか、はたまた現在あらゆるジャンルのギタリストが承継し単なるテクニックとして使っているかを見れば一目瞭然、そう言った意味から彼は “オクターヴ奏法の開祖” であり、そのテクニックを駆使できたものは全て “ウェス・モンゴメリ派” と認知してよいであろう。
ウェスの愛用したギターすべて
ウェスが初めて持ったギターは兄モンクの証言によると「1935年(34年という説もある)ウェスは質屋で見つけた4弦のテナー・ギターを欲しがっていたのでアルバイトで貯めた13ドルをで買ってあげた」と言う。当時(ウェスは12歳)の不況下ではかなりの金額だった。
年代などから推察するとそのギターは1934年から1957年まで製造販売されたギブソンのアーチトップL50を基本にしたテナー・バージョン”TG-50″が有力である。


写真左・・1944年11月、地元R&Bバンドのフォア・キングス・アンド・ジャック(The Four Kings and A Jack)のバック。ギターとしてまだ無名のウェスがインディアナ大通にあるラムブギー・クラブに出演した。
そのショーの新聞広告写真でウェスの持っているギターが4弦テナー・ギターに見えるというものである。
写真では後付けのピックアップとコントローラが取り付けられている。
写真右はGibson TG-50 1939年製ですが同型の34-35年製の中古を買ったと思われる。
それで初めて6弦ギターを買ったとされるのが伝説的に言われているギブソン”ES-150チャーリィ・クリスチャン・モデル”と言われている。

1936-39年、ミシガン州カラマズーのギブソン工場から出荷された”ES-150″は、特徴ある六角形のデザインを持つシングルバーのピックアップ(通称 CC pickup)をマウントし、チャーリー・クリスチャンが使用し人気を得たことで、この39年以来チャーリー・クリスチャン・モデルと呼ばれた。
ただ、1939か40年の後半から43年にかけ一部改良され”P-90″の前身であるアルニコ・マグネットで調整可能な6本のポールピースを持つ”P-13″ピックアップに変更された。
第二次世界大戦で製造を中断したあと、1946-56年まで新型モデルを販売した。
この時ピックアップは”P-13″から”P-90″に、ボディは16インチから17インチにそして素材や装飾なども豪華に変更された。
そのウェスが最初に買ったという6弦ギターを考えてみる。
エイドリアン著の「ウェスは6弦ギターとアンプを350ドルで買い、クリスチャンのコピーを8か月間ほど練習し20歳を迎えるころには440クラブに出演した」と、いう記述を考えるとスリーンと結婚する前の1942年中頃に楽器を買ったことになる。
事実としては、1961年ラルフ・グリーソンのインタヴュー (ダウンビート誌7月20日号) 記事で 「僕が音楽を始めたのは結婚してからで、その2~3か月後にギターとアンプを買った」と、答えていることから、おそらくギターは1943年中頃に買ったことになる。
ただ、ウェスはインタヴューでは350ドルで買ったと自身は語っていない。未刊の【モンゴメリ・ブラザーズ・ブック】でバディは 「より高級なギターとアンプを300ドルで買った」と、回想しているが、”より” とはギターを買い替えたという意味合いからウェスが初めて買った6弦ギターと300ドルで買ったとされるギターは別物として捉えられる。
それで初めて買った6弦がクリスチャン・モデルのギブソン “ES-150″ と言われ続けているが確証はなく、”Indianapolis Jazz/The History Press 2014” で次のような記述を見つけた。

「第二次世界大戦中、ギタリストのジョン・ブランチャードはアメリカ陸軍に従軍し、エンターテイナーとして特殊任務に就いた。戦後はインディアナポリスに戻り、インディアナ大通438-1/2番地の “P&Pクラブ” などで演奏活動を続けるなか、あるクラブでの出来事をユーモラスに回想している。
『若者が “ES-125” のギターを持ってクラブに入ってきたが、見るとペグのひとつが欠けており、弦を締め付けるためのペンチも持っていた。彼はギターを階段横に置くと、私が最初のセットを終えるのを注意深く見守っていた。』幕間に若者はブランチャードに近づき、自己紹介をしてこう告白した。
『あなたが2オクターヴ演奏するのをずっと聴いていましたが、どうやってプレイするのかわかりません。やり方を教えてもらえませんか』、ブランチャードは快く若きウェス・モンゴメリに応じコードも教えた」
と、いうものですが、ブランチャードの話が45年とするなら、ウェスは確かに22歳の若者であり、買ったとされる6弦が新品であれ中古であれ42年製 (43年は戦争で生産中止) までの “ES-125” という話は理に適っている。
ただ、この機種の1ピックアップはリア付けで46年に再生産されてから、P-90のフロント付けになったという事実からリア付けのギターをウェスが買う? という疑問は残るものの、結婚したてのウェスが300ドルの大金で買える訳がなく、中古でも6弦でさえあれば練習できる、とみなされるほど、極めて有力な情報であることに疑いはない。

(写真 1)の左側のES-125の前身は、1938年のエレクトリック・スパニッシュ(写真 1)の右側のES-100として発売した。
ES-100の名前の由来は、ギターとケースのセット価格が55ドル、アンプ EH-100が55ドルで合計110ドルだが3点セット価格で100ドルとし、ES-100とした。
1940年10月1日ギブソンのカタログに新しいEH-100が広告された直後、価格が引き上げられ3点セットで125ドルで発売されたことで、ES-125と命名されることになった。
最初にウェスがギターを抱えている年代が確実に判断できるのは、彼がライオネル・ハンプトンに在籍した1948-50年(25~26歳)である(写真 2)。
ボディーが17インチサイズ、ピックアップがついているタイプから同じESシリーズとして1940年からリリースされたエレクトリック・アーチトップ “ES-300” スクリプト・ロゴのヘッドを持つマホガニーネック、f-ホールのデザインされたテイルピース、シングル・バインディングのべっ甲柄ピックガード、そして半透明のスピードノブがセットアップされた”P-90″仕様の46年モデル(写真 3)のように見える。



裏付けとなりえるモンクの証言からも、実際ウェスに金銭的余裕をもたらせたのは46年のスヌーカム・ラッセル等と一緒の長いツアーの後からとなる。それで買えたのが”ES-300″ではなかろうか。
1940年のカタログで”ES-300″の定価はギター単体で160ドルで”EH-275″のアンプは125ドルですが、ギターケースなど含めたセット価格は300ドルだった。
ただ、ハンプトン楽団での写真にアンプはフェンダーの “デュアル・プロフェッショナル” が見られるので、それぞれ単体で買った可能性もある。
鮮明にウェスがギターを抱えた姿が捉えられたのが1957年(34歳)インディアナポリス録音《The Montgomery Brothers And 5 Others/World Pacific PJ-1240》のジャケットで見られる “L5CES-ベネチアン・カッタウェイ/サンバースト・フィニッシュ” (写真4)で、このギターはエイドリアン・イングラム著【WES MONTGOMERY】の表紙 (写真5)や挿入写真で見られる “500ルーム” での演奏風景をはじめ、1960年(37歳)リヴァーサイド録音《Movin’ Along/Riverside RLP-342》 (写真6)や1961年《George Shearing And The Montgomery Brothers/Jazzland JLP-55》の裏ジャケット (写真7)でも見られるが “L5CES-ベネチアン・カッタウェイ” でレコーディングされたものと思われる。
ただギターのフロントピツクアップはアルニコⅤ(もともとの標準装備がアルニコⅤ)を使ったり、P90に取り替えたりしているが同じギターであることに注意。



次に1959年(36歳)ジョン・ヘンドリックスとの《A Good Git-Together/Jon Hendricks/World Pacific WP-1283》 (写真8)での歌伴に使われた “ES-125D” このギターはイングラム著【WES MONTGOMERY】の中でも鮮明な写真 (写真9)が掲載されている


イラスト・ジャケットの《The Wes Montgomery Trio/A Dynamic New Sound/Riverside RLP 12-310》 (写真10)の描かれているギターでは特定できないが、伝説的に名高いケニィ・バレルより借用のカスタムメイドの “L-7C” である。
《The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery/Riverside RLP 12-320》の裏ジャケット(写真11)に映っている写真はNYCのレコーディング時に撮られたものである。
チャーリィ・クリスチャン・タイプのピック・アップに恐らく17インチ・ボディのカスタム・メイド・ギターと推察する。
ボディのf-ホールにはバインディングはないが、ネックからヘッドまではバインディングを施し、ペグやテール・ピースはいずれも “L-7” 仕様である。
但しフィンガー・ボードのインレイがブロック・インレイになっているが、 “ES-5” か “L-5” のフィンガー・ボードをつけていると思われる。カスタム・メイドではよくあることだ。
ちなみにキャノンボールの《Cannonball Adderley And The Poll-Winners/Riverside RLP-355》の裏ジャケ(写真12)も同一の写真である。



そして1960年(37歳)《The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery/Riverside RLP 12-320》の表ジャケット(写真13)に映っている写真がP90のピック・アップを装着した “ES-175” であり、16インチ、パラレログラムとその特徴が見て取れる。 “L-4″とも思えるがピック・アップが装備されているということから “ES-175” と見るのが妥当である。(写真14 ピック・アップがあと付けされたなら “L-4” かもしれないが、絶対的な区別は写真では難しくトップ板の材質が違うだけのことである)このギターを使ってのレコーディングは《Work Song/Nat Adderley/Riverside RLP12-318》(写真15)ハロルド・ランドとの《West Coast Blues/Harold Land/azzland JLP-20》(写真16)前述の《Cannonball Adderley And The Poll-Winners/Riverside RLP-355》はP90のピック・アップでのサウンドが確認できる。





そしてウェスが2本目の “L-5” に手を出したのが “L5CES-フローレンタイン・カッタウェイ” であり、最初のレコーディングが1962年(39歳)《Full House/Riverside RLP-434》で、裏ジャケット(写真17)のライヴ風景が証拠写真となる。
ピック・アップはPU-490、通常 “PAF” と呼ばれているが、弦がピシャという感じの音とその感触までが伝わってくるところが堪らなく良いですね。
このギターでは他に1963年(40歳)《Boss Guitar/Riverside RM-459》《Fusion!/Riverside RM-472》(写真18)リヴァサイド最後の2作《Portrait of Wes/Riverside RM-492》《Guitar On The Go/Riverside RM-494)》それに個人的にジャケットの中で一番気に入っているヴアーヴでの初レコーディングに使われた1964年(41歳)《Movin’Wes/Verve V6-8610)》(写真19)である。
ここまででこの “L5CES-フローレンタイン・カッタウェイ” (写真20)はウェス自身もお気に入りのギターらしく6枚のアルバムに使用されたことになる。



現在このギターの所有についてある情報を得ている。
一番新しい話として聞いているのは現在の所有者はジョージ・ベンソンで、とにかくベンソンはウェスの所有していた “L-5” 4本のどれかの入手を試みていたという。ウェスの死後、このギターを何らかの理由で手放したのは妻のスリーンだったらしく、2年後にこの “L5CES-フローレンタイン・カッタウェイ” を個人か業者からかは不明であるがやっと入手したという。
ケースは黒のワニ皮風模様で取ってのパーツはギブソンではあるが純正のものか、ウェスがどこかで見つけたものかは今となっは分からないそうである。
ただ入手したときのコンディションは決して良くなく極薄のラッカー塗装(ナイトロセルローズ仕上げ)でタバコ・サンバースト “PAF” が2基マウントされていたものの、緑青が噴いていたという。さらにペグやテールピースにも及んでいたが鳴りはすばらしく良かったという。
大きなダメージとして、ジャックよりネック側に古いヒビと大穴が空いており、光沢がなくリムの周りの塗装も剥げ落ちていたことからギブソンに修理依頼したそうである。
ここに来て不思議なのは小泉清人氏のこのギターの所有者についての記事がリットーミュージック発行『偉大なる巨匠たちの軌跡/ウェス・モンゴメリ/著・監修 小泉清人』に書かれてある。
1992年の段階ではジェリー・バードというギタリストが所有していたという・・その後ベンソンに渡ったにせよギタリストがこのような悪い状態になるまで放っておくことは通常考えられない。まさかのまさか・・2台存在・・なんて考えたくもないことだ。
表ジャケットのことでひと言、 “L-5 ナチュラル” を抱えた《Full House/Riverside RLP-434》(写真21)と《Boss Guitar/Riverside RM-459》(写真22)はギブソンの宣伝用に撮られたもので実際には使用していないということは何度も説明した通りである


1965年(42歳)以降はもうこれ以上の説明も不要と思うが3本目の”L-5″が”L5CES-カスタム・メイドでウェスのために作られた一本はハートのインレイが施され、欧州ツアーでの使用が初のお目見えとなった(写真23)《Bumpin’ /Wes Montgomery/Verve V6-8625》以後ヴァーヴのレコーディングにはこのハートの “L-5” で望んだと思われる。




考えてみるにギブソンが贈ったとされるこのギターはこのツアーの為に作られたものではないかと憶測する。このハートの”L-5″は1967年6月のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでも使用されているがおそらく、この6月以降は次に紹介するギターと持ちかえたようである。
それが4本目の”L5CES-カスタム・メイド”でハートの”L-5″に続く特徴あるダイアのインレイ(写真24)が施さた、いわゆるダイアの”L-5″です。
1967年(44歳)A&Mに移籍してからのもので《A Day In The Life/Wes Montgomery/A&M SP-3001》の大ヒットにたいしての寄贈ともいわれる、最後のギターである。(写真25)
このギターは1998年以降はウェスの孫が所有しているはずてある。
