「本当だった。」続編

「本当だった。」続編

一つ前のブログ(1998.8.28)の記事に対して、成田正氏の誠意ある解答をいただきました。
そこでもう一度キープニュースの話し (《ザ・コンプリート・リヴァーサイド・レコーディング /ビクター VICJ-40060-40071 》12枚組CDのライナー・ノーツ) より説明したあと、成田正氏の解答文を紹介します。

キープニュースの証言

「夜明けの契約から2週間とたたずに、ウェスは同郷のメル・ラインとポール・パーカーを引連れリヴァーサイドでの初レコーディングのためNYへ飛んだ。
ウェスの根深い飛行機嫌い( そのときまだ私は知らなかった )にも拘わらず、彼は何の異議も申し立てなかった。
恐らく、自分の新しいレーベルと問題を起こしたくなかったか、仕事としてこの段階を早く軌道に乗せたくてたまらなかったからだろう。
実は先刻( 訳注 :ということからこのアルバムがリリースされる前の1982年の秋頃 )メル・ラインにこのことの裏をとる機会があり、そのついでにこのアルバムのライナー・ノーツにも記したケニー・バレルの発言、つまりこのセッションで私がウェスのためにギターとアンプを借りたいと彼に電話した件についても聞いてみた。
メルはインディアナポリスからの空の旅については正にその通りで、またアンプは、そんなボロボロのは置いていったほうがよいということだったと思うが、ギターについてはそれはどうだか分らないということであった。
とに角、私自身はっきりと覚えていないので、ケニー説を受け入れない理由はない。」

成田正氏の解答文

 定説( 59年、インディアナポリスからニューヨークまでウェスは飛行機を利用した )を覆すような当方の記述の根拠は、89年11月8日、ブルーノート東京に出演中のケニー・バレルへのインタヴューに端を発しております(同店オフィスにてインタヴュー)。
ケニー・バレルは、ギブソンのL-7と、フェンダーのデラックス・リヴァーブを、ウェスの初リーダー・セッションのため準備し貸与したと明言した上で、「飛行機を利用する予定だったのに、彼( ウェス )は自動車を運転て来てしまったんだよ。( 中略 )結局、それ以来、初めてのヨーロッパ・ツアーに行くまで、彼は飛行機に乗らなかったはずだよ」と語りました。
これが、端緒です。 ただし、その時の状況はまだ記憶に鮮明ですが、インタヴューに時間的な余裕がない上、ほぼ初対面( 二度目の面会 )のインタヴュアーとしての気遣いと遠慮もあり、「それは既存の記録と話が違う」、「記憶は確かですか?」など、尋問めいた確認作業まで踏み込めなかったのは事実です。
責任回避のようで恐縮ですが、たとえば、「あのセッションでプレイしたのは実はオレじゃない」と言いながら、こちらが「どのディスコグラフィーにも明記されてますが?」と問い返すと、「ゴメン、オレの勘違いだ」といったインタヴューでの呼応は、何度も体験してきました。
しかし、この時、「ギブソンのL-7と、フェンダーのデラックス・リヴァーブ」と言い切ったケニー・バレルの明快さのリズムに乗り、「自動車説」が無意識のうちに「スクープ=新説」として記憶の一部に焼き付いてしまったようです。 
そしてさらに、正確には「思い込みの新説」と言わざるを得ないこの情報を、今夏のインディアナポリス取材で未亡人などゆかりの方々に持ちかけると、セレーヌ・ウッズ( ウェスの未亡人 )は「そうだったわ、彼は墜落事故を見て以来、飛行機恐怖症になったの」、「こっそりと自動車で出かけることがよくあったわ」、親友のアロンゾ・プーキー・ジョンソンは「ウェスはどこへでも自動車で行ったさ」など、「定説」の所在を忘れさせる「言説」ばかりが勢い良く現れ、既出情報との比較、検討がおろそかになったまま誌面に現れた、というのが、「本当だった」に至るこれまでの経緯です。
よくよく考えれば、いかに先進のアメリカ自動車産業界とはいえ、当時、インディアナポリスとニューヨーク間を容易に往復できる一般車種があったのか、あるいは、裕福だったとは思えないウェスがどのように自動車を調達したか、さらに、自動車利用なら、なぜギターやアンプを持参しなかったのか、などの矛盾点が浮かび上がることは承知しております。
つまり、当方の不備として第一に指摘すべきなのは、「ひとりの音楽家の記憶情報を頼りにした」こと。そこではもちろん、ケニー・バレルの責任は発生しないでしょう。
そして次に、既存データの骨子を説明しないまま、強い口調の記述をした言葉不足の責任は否めません。
徳井さんのおっしゃるように、「本当」があるなら、「勘違い ?」に当たる箇所を明記した上で論旨を展開すべきことでした。が、しかし、ウェスの墓碑に手を置きながらの未亡人の回顧談、それに、ウェスが全幅の信頼を寄せたというプーキー・ジョンソンの心温まる思い出の数々、それらに直接触れたショックが、わずかの手掛かりを膨らませ、それがこちらの意中で「正史」にすり変わった、この気持ちの流れの背後には遺憾とも押さえがたい情緒の躍動があり、報告上の不備は認めても、不遜ではなかったことを、あえて申し上げたい次第です。
いずれにせよ、ジャズ・ギターの進化、向上、熟成に貢献しただけでなく、20世紀のジャズ史を支えた巨星のひとりウェス・モンゴメリの足跡については、鋭意、アンテナを張り巡らせて取材し、その「正史」の構築に努めていく姿勢には変わりありません。

成田氏より説得力ある解答文を寄せていただき感謝しています。
結局、キープニュースは自分の記憶に自信がなくメル・ラインに確かめたようですし、成田氏はバレルやセレーヌ等のインタヴューをもとにSJ誌の記事とし掲載したのですが、「ひとりの音楽家の記憶情報を頼りにした。」という成田氏の言葉にもあるよう、私も過去の出来事に対しては誰かの話しを基に記事を書いているという事実は否めません。
このようなことから、決定的な物的証拠がないことからいずれとも判断しかねますが、人間の記憶というものは、年が経つにつれ薄れるものです。
でもこんな些細なことをあれこれと思い巡らしウェスを偲ぶというのも、いかに彼が偉大であったかという証ではなかろうか。