ウェスも演らなかったウェスの曲

アルバム名 : Stretchin’ Out / The Jazz Crusaders
アルバム番号: Pacific Jazz PJ83
リリース国 : USA
リリース年月: 1963
メディア : LP
The Jazz Crusaders:
Wayne Henderson(tb, euph) Wilton Felder(ts, as) Joe Sample(p), Joe Pass(g) Monk Mont-
gomery(b) Nesbert “Stix” Hooper(dr)
1963
Long John
Robbin’s Nest
You Are Only Sometime
Out Back (Composition by Wes Montgomery)
Bachafillen
I’ll Remember Tomorrow
Polka Dots And Moonbeams
Sweetwater
“クルセイダーズ” といってよいのか “ジャズ・クルセイダーズ” と紹介してよいのか、本当にややこしいこのグループが何とウェスが現役で活躍中の1963年、しかもウェス自身の作曲にもかかわらず彼もレコーディングしなかったという珍曲〈アウト・バック〉を挿入した《ストレッチン・アウト/ジャズ・クルセイダーズ/Pacific PJ83 》をリリースしていた。
この情報、実は昨年ギタリストの小泉清人氏から寄せられていたが多忙に襲われスッカリ忘れてしまい、慌てて掲載したというお粗末さ・・反省してます。
上記のデータに従い “ジャズ・クルセイダーズ” と呼ばせてもらうが、私自身興味がなかったことからこの時代の彼等のレコードを初めて聴いたが、この〈アウト・バック〉を聴いた第一感想
《カーティス・フラー/ブルースエット》の挿入曲でベニィ・ゴルソン作曲のマイナー・ブルーズ〈ファイヴ・スポット・アフター・ダーク〉の雰囲気をもち、その後のゴルソン/ファーマーの “ジャズテット” と同じような演奏スタイルである。
実際のところ、ウェスが遺している数々の曲の感じからいうと洗練され尽くされているかな?という気もするが、編曲のせいも伴うのか正に珍曲逸品である。
でも、確かに “作曲/ウェス・モンゴメリ” であることがうなずけるのは実兄のモンク・モンゴ
メリが参加していたとこが何よりの証拠であろう。恐らくモンクの提案がとおりこのバンドのスタイルに合ったからレコーディングしたのでしょうが、ジョー・パスの好演もさることながらどうせならウェスを客員させる提案もして欲しかったというのが正直な感想である。
私もあまり知らないがややこしい “ジャズ・クルセイダーズ” について簡単に説明しておく。
“ジャズ・クルセイダーズ” と名乗ったのは1961年のことで、それ以前の1953年の結成時は “スウィングスターズ” といいテキサス州ヒューストン生まれの4人の若者、スティックス・フーパーをリーダとしたウィルトン・フェルダー、ウェイン・ヘンダーソン、ジョー・サンプルが、ジャズを始めブルーズ、R&B、ゴスペルと幅広く取組み他にもヒューバート・ロウズやベーシストのヘンリー・ウィルソンらもいた。
1958年には “モダン・ジャズ・セクテット” と名を変えカリフォルニアへ進出するが、売れることなく結局R&Bのダンス・バンドの仕事に戻ってしまった。
この時にバンド名を “ナイタ・ホウクス” とし、この頃ヒューバート・ローズはジュリアード音楽院に、ヘンリー・ウィルソンは他のバンドへ移籍していった。
そして “ジャズ・クルセイダーズ” としてレコードもリリースしヒットしたにもかかわらず経済状況は好転せず、結局はダンス・バンドの仕事を続けていた。
1969年のほぼ1年間メンバは一時的にバンドを休止しそれぞれ別行動をとるが、ジャズ・プレイアーとして他のプレイアー達とは違う音楽でビートのあるR&Bの要素を採り入れた新しい音楽をプレイする新しいバンド “クルセイダーズ” として1970年レコードをリリースし、ようやくヒ
ットの兆しをみせた。
思うに、このきっかけとなったのがウェスのA&Mでの3部作がブームの火付けとなったクロスオーヴァーであり、70年代中頃になってフュージョンへと変化しアメリカ全土での一大ブームとなったことが、彼等の売れた要因であろうと思う。 (注:ある人が言うには、クロスオーヴァーはクラシックとジャズの融合で、フュージョンはロック/ポップスとジャズの融合であると解説しているが、ある種当たらずとも外れていない。)
このグループが受けたのは先ず日本人好みのビアノ、ジョー・サンプルが馴染みのヴォーカル曲やポップスを弾きまくり、自らのサウンドを他と区別すべく “ガルフコースト・サウンド” と名付け新たな活動を始めエレクトリック・ピアノを弾くようになり、ウィルトン・フェルダーがサックスからエレクトリック・ベースを担当することにあった。
その後ディスコに対する反動から彼等の音楽も放送シーンから閉め出されてしまい、80年代にはメンバの離脱などからなりを潜めていたが、1995年にはバンド名を再び “ジャズ・クルセイダーズ” に戻しアルバムを出したが人気のジョー・サンプルの姿が消えていた。
新生 “ジャズ・クルセイダーズ” は1996年の恵比寿ガーデンホールや1998年のモントレイ・ジャズ・フェスティヴァル等での日本公演もまだ記憶に新しいでしょう。
惜しまれるはやっぱりウェスの死ですか、あの70年代にもしウェスが活躍していたら当然来日も果たしフュージョン・ブームの最大のスターとなっていた事は確実で、ジョー・ザビヌルの “ウェザー・リポート” やチック・コリアの “リターン・トゥ・フォーエヴァー” そしてフュージョン・サウンドを築いたグローバー・ワシントンも何のその・・コラッ「死んだ人の年齢は数えるな!」全て儚い夢か幻・・と言ったところで初夢だったとしておきましょう。
